承認欲求で幸せをつかむ人とそうじゃない人の違い


承認欲求-山本真弓


承認欲求で幸せをつかむ人にあるものとは?



ズバリ、「背景」



承認欲求にも2つあって、幸せアピールする人と、不幸自慢する人。



不幸自慢はここではあまり触れてませんが、少しだけ後述してます。




「幸せアピール」を例に言うと、


見る側にとって、背景のない人が見せる幸せは「アピール」に、


ある人が見せる幸せは「共感」に



映るんです!



写真も動画も!!



ここでいう「背景」とは、アウトラインとか文脈とも言うけど、「どんなことがあって、何をどうやって、その幸せを手にしたのか?」という文脈(背景)が伝わっていない状態で、幸せしか見えないから共感されない。




ちなみに、不幸自慢はその逆。



どうやって不幸になったのか?で注目を浴びたいのね。



どれだけ幸せか?を競うのが、幸せアピールで、上と自分を比べる。


自分より上だと思う人に嫉妬する。



どれだけ不幸か?を競うのが、不幸自慢で、下と自分を比べる。


自分より下だと思う人にマウントを取る。



どっちもそれが続くと、ウザいんです。




自撮りばっかり見せてる人でも、背景が見えると共感されてるんですよ。




なぜなら、自撮りで幸せアピールをしても見る側は、


幸せな人を応援したいと思わないから。


ある意味、広告と一緒で、何回も同じものを見せつけられると嫌になってくる、それです。



見える→見せつけられる→これです。




たとえ承認欲求が、共感されることより勝つことが目的にあったとしても、本人の目的なんてものは他人から見えません。



だから、応援したくなるコンテンツが見えないと興味すら持ちません。




それに、みんなに共感されたり、祝福されている人でも、当人に承認欲求があるかどうかなんて、見る側からは見えないじゃないですか?



だから、嫌われるから承認欲求がある、共感されるから承認欲求がない、というわけじゃないし、承認欲求があるから嫌われる、ないから共感される、という論理は成立しないんですよ。



そもそも承認欲求というのは、多かれ少なかれ誰にでもあります。


承認欲求は、満たされ尽くせば出てこなくなるものです。



背景が見えないまま「もっと」が肥大化するから、アンチが増えていくんですね。



 

背景とは、事実ではなく「事情」のこと



「背景」を伝えることは、ブランディングの根底でもあります。



ブランディングは、個人、企業ともに、共感され、愛されるために行う活動のことで、セルフイメージと、他者に与えるイメージが一致していることが前提にあります。



そうじゃないと、自分が疲れて続かないから。



ここでいう「背景」を、コンテクストといいます。



ブランディング活動に必要なものが、コンテクスト(背景)です。



人はあなたの「幸せ」を見たいわけでも、聞きたいわけでもないんです。


どうやってその幸せを築いたか?



といった


事情に関心やあこがれが生まれるんです。


コンテクストは、何があって、どうしてそうなったのか?が、映像や写真、言葉でイメージできるもので表現します。



私たちは、コンテクストを文脈と言ってるのですが、その文脈も、ブランディングでは想像を掻き立てるように描いていきます。



ブランディングの根底には、コンテクストが必ずあります。


見る人は、その結果に至らしめた事情に共感するからです。




ちょっと事例を書いてみますね。


私は、将来の方向性がわからなくて、どんどん時間だけが過ぎていくことに不安を感じていた。

友達に映画を誘われても行く気になれず、婚活なんて興味すらなくなっていたある日、お茶を買うために寄ったコンビニで、人生を狂わせるあることに遭遇した__。



たとえば、この文章の場合、見える事実は、お茶を買おうとしていることと、コンビニに行ったことと、そこで何かあったということですよね。



この人が、男か女かもわからなければ、将来の方向性に悩んでいて、友達の誘いも婚活も興味がないことは見えないですよね。



こうして、事実から見えないものがコンテクストです。



事実から見えない事情が「見えない」から共感されないんです。



他人は、あなたに承認欲求があろうがなかろうが関係ないんです。



現に、承認欲求があっても成功している人は多いし。



たとえば、オンラインサロンの「DMM」のオーナーのターゲットは、承認欲求を満たしたい人です。



承認欲求を満たしたいサロンオーナーが、DMMに登録して、サロン会員を集めているわけです。





サロンオーナーに共感して会員になる人はすごく多いじゃないですか?



だから承認欲求があるから嫌われるわけじゃないんです。


あってもいいんですよ。



サロンオーナーは、自分の背景を見せることで共感を得て、自分にあこがれてくれる人を集めてるわけですからね。



当然、価値観が違う人はアンチとして非難したりするわけです。



背景がない承認欲求は、みんなに共感されようと頑張るんだけど、そもそもみんなに共感され、愛されることは不可能ですよね。




事例をもうひとつ。



朝、7時に起きた。

本当は6時に起きて、昨日ダルくて出来なかった課題を片付けるつもりだったのに、日増しに強まる倦怠感で起きれなかった。

ここ最近、続く倦怠感に悩まされていたけど、朝という時間は、私に考える余地を与えない。

とりあえず冷蔵庫にあったバナナを一本だけ食べることにした。

スマホでYouTubeを見ていたら、友達からLINEが来た。

そういえば映画に誘われてて、断る理由を考えているうちに後回しになってたことを思い出した。

行く気になれないって言えば相手に申し訳ないし、かといって時間が合わないって理由をつけて断っても、私の都合に合わせるって言うし。

たった一言「そんな気分じゃない」って言えない些細な自己閉鎖が、どんどん悩みになって膨らんでいく__。



この文章で事実だけ取り出すと、


7時に起きた、朝食にバナナを食べた、友達からLINEが来た、顔を洗った、服を着た、仕事に行った。



同じように背景だけ取り出すと、


6時に起きて課題を片付けるつもりだったが起きれなかった。

ダルさが続くのが気がかりだった。

友達のLINEで映画に誘われていたことを思い出した。

理由をつけて断っても、私の都合に合わせると言われた。

正直に行く気分じゃないと言えない自己閉鎖が悩みを増やしている。




なぜ7時に起きたのか?


友達のLINEの内容は何か?


この人の悩みは何か?



背景があると、見る人がイメージしやすくなりますよね。


この「背景」に共感する人の中から応援する人ができるんです。



「言わなくても察してほしいことって私にもある」とか、私も倦怠感があるとか、背景の何かに共感する人がいるんです。



背景(コンテクスト)が見えなければ、事情はわかりません。



事業がわからないのに、言わなくても察してほしいっていうのは無理な話ですよ。



迷惑をかけたくないから、しんどくても我慢する人は、しんどそうな顔を他人に見せることが一番迷惑だということがわからないんです。




なぜなら、


しんどいのによく頑張ってるねって見られたいから。



これが、要は、不幸自慢のひとつです。


不健康を見せつけることで、注目を浴びたいわけ。



不幸自慢をする人は、自分を幸せにしないやり方で、他人に認められることを満たしています。



いわゆる「同情」などがそうです。



不幸自慢をする人は、お金、健康、人間関係を充実させると、自分は認められないと信じています。



これはかなりキツい人生ですよ。



なので、不幸自慢の承認欲求は、不幸でなければ認められないと信じているので、不幸を満たし尽くすのは危険です。


だけど、本人が不幸を自慢していることに気づけないなら、どうすることもできないんですね。



こうして、肥大化した承認欲求をなくすのは、むちゃくちゃ難しいけど、DMMに登録するオーナーみたいに、欲求を満たしながら共感されたほうが楽じゃない?ということがわかります。




高級なモノとかお金だけ見せて「あなたも明日からなれるよ」的な、背景のないコンテンツ(画像)だけならやらないほうが無難です。



こういうのは、オワコン(終わったコンテンツ)だしね。



 

承認欲求は満たし尽くすこと




自分の背景を見せているうちにあることも解決できます。




見せるために頑張っていたら、見えるところしか頑張れなくなる

という課題が解決されていきます。



この課題が解決したら、承認欲求は満たされ尽くし、人や自分のためになる見せ方ができるようになってしまいます。




なぜなら、


自分がどう見られるか?よりも、自分が相手ならどう感じるか?という他人目線(自分事)で考えられるようになるからです。



もし自分が相手の立場だったら?という思考は、



自分目線が他人目線に、

自利が利他に、

うぬぼれが思いやりに