何が人生を棒に振る方向へ舵を切らせるのか?


山本真弓-観音正寺-聖徳太子

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火事に遭った時、何を1番に持ち出すかにおいて、通帳や現金と言った人の事業は結局潰れ、顧客名簿と言った人は繁栄した史実がある。



「仏心で商売はできない」と言うが、確かに仏教でビジネスはできない。



しかし、同じ条件下で明暗が分かれる理由は、仏教的論理で説明がつく。



本来「経営」とは、自分の一生をどう生きるかという『経』と、どう行動するかという『営』の仏教用語から生まれた言葉である。



マーケティングと仏教も、求めるものが『儲け』か『浄土』かの違いこそあれ、行動する過程はほぼ一緒で、かつ、両者は科学的根拠に基づく論理が常にある。



こうして自分を活かす「仏教」というのは、見えないものを信仰することでも、信仰するから幸せになるものでもなく、先見の明や選択眼、直感力、洞察力、人間性など、どんな状況でも生き抜く「見えないスキル」を得る手段なのだ。



これらを身につけた者は、通帳や現金と答えた人たちの潰れた理由が「顧客名簿の有無じゃない」ということがどういうことかを理解し、説明できる。



それが人間と猿の違いなら、私たちは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、天人ではなく、人間界で人間として生きることができるのだ。



なのに、なぜ、人間以下の世界に落ちる者がいるのか?



なぜ、人間のくせに天人のフリをする者がいるのか?



なぜ、彼らは火事の時、通帳と現金を1番に持ち出すのか?



間違った動機で正しいことをやるからである。


人生を棒に振ったことに気づいてはじめて、動機を間違うと結果がともなわないことが理解できる。



焼け野原で現金は価値がない。


一人勝ちに価値はない。



それらが理解できる。



世界一美味しいカレーに必要なものは、最高級の素材でも水でもなく、食べてくれる存在だと理解できる。



1泊100万のスイートルームでも、川のせせらぎが最高のキャンプでも携帯を見てしまう者の幸福度が低い理由が理解できる。



どれもこれも欠乏欲求を満たすマーティングに一致する「情弱」が釣れ、搾取される、ということが理解できる。



本来、マーケティングも経営も仏教も、人間を人間たらしめるためにある。



「顧客のほしいものを売るな、必要なものを売れ」と言った松下幸之助の真意がここにある。



経営の「投資と回収」とか、誰かを愛するという行為は、理屈や数字だけで乗り切れるものではないことが肌身に染みて、はじめて人は仏教が身近になる。




第二話「宗教やスピを活かす人と溺れる人」


悪意がないから余計タチが悪い人を事前に見抜くあるコトとは?



日時:11月26日(土)13時・15時


場所①:[来場]近江八幡市 観音正寺


場所②:[オンライン]Facebookグループ内録画配信


料金:①②無料(来場時の拝観料、駐車料別途要)