【方向性】本当に好きなことは一番つらかった中にある

※画像:ミスターロボット・エリオット・USAテレビドラマ/ハッカー/ライセンス:DMCA/出典:Wallpaperbetter
本当に好きなことの見つけ方
例えば、映画とか釣りとか、興味関心のあることは「好きなこと」ですね。
でも、本当に好きなことは、見るのはそこじゃないんです。
キャリアに必要な要素の1つ「好きなこと」とは、本当に好きなことを指します。
で、その「本当に好きなこと」は、あなたが今までで一番つらかったことや、一番苦労したこと、一番困難を要したことの中にある、「救われたこと」を思い出してみてください。
これがあったから今日の私がいるんだと言えるくらい、あなたが救われたコトは何ですか?
その救われた中に、本当に好きなことがあるんですよ。
今やっていないなら、再開したら情熱は再燃しますよ。
やりたいことというのは、
本当に好きなこと×得意なこと
でも、これも本当にやりたいことじゃないんです。
「本当にやりたいこと」とは、
やりたいこと×使命
「やりたいことが何かわからなかったら、小さい時の自分が好きだったもの(コト)を思い出せ」とよく言うけれど、特に好きなもの(コト)などなかった、と言われる人もまた多い。
こういう場合は、自分の孤独や寂しさを埋めてくれた出来事を思い出してみてください。
私は特に好きなものはなかったので、孤独を思い出したら、両親が共働きだったことと、遊ぶ友達がいなかった情景が鮮明に甦ってきました。
宿題もやる気がなくて、テレビばっかり見ていました。
夏休みもほとんど。
当時、団地の4階に住んでいて、母が帰ってくる時間近くになると、母が自転車で団地の前の道を通り過ぎるのを、今か今かと、ベランダで見ていました。
でも、それしか思い出せないんですよね。
だけど、私は、母と一緒にいることが好きなことなんだろうな、と思っています。
でも、独立してもこの「好きなこと」は、活かせないじゃないですか。
だから見るところはそこじゃないんですね。
母と一緒にいることを必要としていた自分の状態。
そして、
母と一緒にいることで得られたもの。
それこそが、私を母と一緒にいることに向かわせていたものの正体でした。
母と一緒にいることを必要としていた私の状態は、在宅です。
そして、母と一緒にいることで得られていたものは、洞察力、観察力、先見の眼です。
あなたが一番つらかった時、何に救われましたか?
その救われた時のあなたは、どんな状態でしたか?
その状態で何を得ましたか?
その「得たもの」が、あなたの本当に好きなこと(救われた時の状態)で出せた成果なんですよ。
私は母のある言動が嫌いだったのですが、母を変えることに成功しています。
当時、父がいつ地雷を踏むかわからない、いつ怒鳴りだすかわからない、聞こえよがしの「小声」でブツブツ言う母の不平不満、文句の聞こえる状態が大嫌いでした。
お茶碗の割れる音とか、寺内貫太郎一家のドラマさながらの光景を見るのが嫌だったんですね。
でも、ある時、どのタイミングで父が怒鳴りだすのかがわかったんです。
だから私は、そうなる前に父の気を逸したり、母が文句を言わないような会話を持ちかけたり、リスク回避ができるようになっていたんです。
機嫌を取ることとは違う、相手の興味関心のある方へ、気持ちを向けさせることができていたのです。
「また嫌な夏が来た」ではなく、「夏本番ですね!」といったような「語彙力」が付き始めたのが、私のつらい体験の中にあったんですね。
まだ小さかったので再現性があるとまでは言えなかったけど、確実に才能は発芽していました。
それと、優しい言葉を求めていた私は、体中に皮膚疾患があったんです。
私のそれは、大人になってもステロイド軟膏の副作用に苦しめられてきました。
その私が化粧品会社に就職するって矛盾してますよ。
それもこれも、私が本当に好きなことは、母と一緒にいることなので、勤められない状況にするために、疾患が酷くなっていったということです。
熱が出ると会社を休むでしょ?
でも、休みというのは、病気になるためにあるんじゃないですよね?
このように、自分を犠牲にして自分のほしいものを得ることを二次利得といいます。
昔、乗り物酔いが常態化していたある人と旅行に行った時、その人は、予約したフルコースが食べれませんでした。
部屋で吐いて、起きれなくて、ずっと寝ていました。
旅行先のホテルの部屋で、数万円払って、具合の悪い自分を休ませる。
これも二次利得です。
その人が自分を犠牲にしてまでほしかったものは、多分私と同じなんじゃないかと思います。
二人旅だったので、私の本音は「残念」だったし、一人で食べるフルコースは、寂しいものでした。
彼女は常々「私の今の幸せをたくさんの人にわけてあげたい」と言ってたけど、私は自分を寂しくさせる人の幸せは分けてほしいとは思いませんでした。
学生の頃から私の具合が悪くなると、母は仕事を休んだり、早退してくれました。
こうして、病気になれば母に愛されるんだというマインドセットが、私の人生を狂わせていったのです。
旅先で彼女が私に求めていたのは、かつて私が母に求めいたものと同じだったとしても、私は彼女にとって他人であり、母親ではないので、彼女の求める「愛されたい」は、私にとっての同情にしかならないのです。
旅先で、体調を崩した彼女もここに気づけたらいいのにと思いましたが、気づくことはありませんでした。
彼女は、否定を恐れていたので、周りに言う人がいなかったのが原因です。
私は他人の否定を「素直」受け取れるようになっていました。
自分が変われば周囲は勝手に変わります。
合わない人とは繋がらなくなります。
親子はそれが中々できないんですよ。
因縁で生まれてきますからね。
親子の原理原則には、「愛されないのは母のせい、お金がないのは父のせい」というのがあります。
三凛さとしさん始め、いろんな方が書籍化されているように、憎しみがあるなら、縁を切ることが幸せの最短ルートです。
絶縁もありなんですよ。
だけど、「罪悪感」の残る人のほうが多いんです。
愛されないのは自分のせいだと思い込むからですね。
「罪悪感」が残ると、親にしてもらえなかったことを今度は他人に求めていくようになります。
俳優がクラブの女性にした行為が話題になったけど、あれも母親に対する怒りが他人に向けられた結果だと私は考えています。
以前、出版された本にも、母親への積年の思いが書かれていたので、母に果たせなかった思いの捌け口が他人の女性に向かわせたと思います。
なぜなら、エネルギーは生産的なものに出せない時、方向を変えて非生産的なものへ向かう性質があるからです。
いずれにしても、エネルギーは溜めることができないのです。
私は、自分を変えるために、仏教(宗教ではありません)と、稲盛和夫さんから経営哲学を学びましたが、表面的には、コーチングとか心理学に見えるんですね。
だから、コーチとかカウンセラーによく出会うのですが、どれも本物じゃない先生方とは、つながっても切れてしまいます。
そりゃそうです、本人は先生をやるのが目的なのですから、ゴールが「先生になること」なら、自分にはなれないということに彼ら彼女らは気づいていないのです。
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別れたその彼女もまた、その類の仕事を「逃げるために好きと思い込んで」やってる人でした。
無資格でできるビジネスは、逃げ場所の温床になっていることが非常に多いのは事実で、これも見極めるのは自分しかいないのです。
結局、私の本当に好きなことは「家にいること」だったので、在宅を実現させ、ライターとコンサルで開花しました。
本業のライターも、2/3は在宅でできますから、15年以上このスタイルで仕事ができています。
本当に好きなことが見つかると、やりたいことの中にあるやりたくないことも苦にならなくなります。
人は、本当に好きなことに注がれない情熱というエネルギーは、問題を起こす力へ方向転換し、破壊という力に注がれます。
この力の原理は、人間に共通します。
ドラマやCM、司会がなくなった俳優の破壊力は、まさに、相手を幸せにしない行為で自分を幸せにしない結果になって表出したのです。
だから、理想のない人に問題は発生しない > ということなんです。
本来、本当に好きなことに向けられるはずの「情熱」が、行き場所を失った状態が、理想と現実の間に生じる「問題」ですからね。
本当に好きなことは、ネットや本を読んでも見つかりません。
あなたの一番つらかったことの中にあります。
山本真弓